脱予算経営

脱予算経営とは、Beyond Budgetingに充てた日本語だ。一言で言えば、「予算は意味がないからやめてしまえ」という考え方だ。

脱予算経営の論者が「予算は意味がない」という理由は、大きく分けて2つある。

1つは、無意味な政治ゲームと化しているからだ。政治的な理由から、売上予算は過少に、費用予算は過大に計上される傾向があるという主張だ。

売上予算をあまり大きくしてしまうと、自らノルマを厳しくすることになる。そこで、売上予算については、それほど苦労なく達成できそうな水準にとどめようとするのだ。

一方、費用は気にせず使えた方が仕事がしやすい。そこで、費用予算は必要以上に多めに計上しようとするのだ。そして、余らせようものなら翌年度から予算を減らされる可能性があるので、一度取った費用予算は意地でも使い切ろうとする。それはもはや既得権争いだ。

こうなってくると、予算は経営のためというより、組織どうしの政治的駆け引きの道具だ。しかも、その政治的駆け引きに何カ月もの時間をかけているのである。

予算に意味がないとするもう1つの理由は、目標値が長期間固定化されることにある。

一般的に予算は1年単位で立てる。それは、1年もの長期にわたって目標値が固定化されることを意味する。そんな固定的な計画では、この変化の激しい世の中で役に立たないということである。

それは、走り出してみなければ何が起こるか分からないマラソンの大会で、事前に決めておいたタイムだけを拠り所に走るようなものである。それでは、どんなに調子が良くて新記録も出そうでも、ゴール手前で足踏みをし、予定の時間が来たらテープを切るというような行動につながりかねない。実際、予算達成が確実になったら仕事の手を緩めるという行動は珍しくない。

予算を完全にやめてしまうのはさすがに難しいとしても、脱予算経営論者の耳の痛い主張は、予算のあり方を考える上で一考の価値があるだろう。